黒い玄武岩の石垣が曲がりくねる路地の先に、藁ぶき屋根が低く伏せ、村のまん中には、幹の周りが5mのケヤキが立っています。済州 城邑マウルは、朝鮮時代に済州を三つに分けて治めたうちのひとつ、旌義県(チョンイヒョン)の役所があった町です。民俗村のように作られた場所ではなく、今も住民が藁ぶきの家に暮らし、昔の村の姿を守っている点が、最大の特徴です。
朝鮮は1416年に、済州を済州牧、大静県、旌義県の三つの行政区域に分けました。旌義県の役所は、はじめ現在の城山邑(ソンサンウプ)古城里(コソンニ)にありましたが、県の東に偏っていて治めにくく、倭寇の侵入も多かったのです。そこで1423年(世宗5年)に、今の城邑里に移して城を築きました。その後、1914年に行政区域が変わるまでの約500年のあいだ、ここが旌義県の中心でした。
村は海辺ではなく、漢拏山(ハルラサン)東側の中山間にあり、山あいの村でありながら町の中心地だったという、珍しい性格を持っています。1984年に、村全体が国家民俗文化遺産になりました。
済州は田んぼが少なく貴重だったため、米のかわりにアワでお酒を造りました。アワの餅「オメギ」で醸した濁り酒がオメギ酒で、城邑マウルで造られるオメギ酒は、済州の無形遺産として受け継がれています。済州の言葉で、ケヤキは「クルルギナム」、エノキは「ポンナム」と呼びます。
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