智異山(チリサン)の山並みを屏風のように背負った南原(ナモン)市山内面(サンネミョン)の野原のど真ん中、田んぼ道の先にお寺が一つあります。韓国のお寺の大半が山深くにあるのとは違い、実相寺(シルサンサ)は平地に建っているので、初めて訪れる人は、このまま進んでいいのかと首をかしげてしまうほどです。この静かなお寺は、新羅末期に韓国の禅宗の門を開いた場所であり、統一新羅の遺物が単独の寺院としては指折りの数で残っている場所でもあります。
実相寺は、新羅の興徳王(フンドクワン)3年にあたる828年、唐に留学して帰国した証覚大師 洪陟(ホンチョク)が開いたと伝えられています。興徳王が太子とともに帰依するほど王室の関心を集め、ここで実相山門が開かれました。寺名の「実相」は、仏教で、あらゆるものの真の姿を意味する言葉です。新羅末期の禅宗の九つの山門、九山禅門の中で最も早く建てられたお寺です。
朝鮮時代に入ると、お寺は次第に衰えていきました。丁酉再乱(日本では慶長の役)で廃墟となり、粛宗の時代の1700年に再建されましたが、1882年の火災でほとんどが焼けてしまいました。その後、何度か再建されたものの、昔の規模をすべて取り戻すことはできませんでした。朝鮮戦争の際には智異山一帯が激戦地になりましたが、文化遺産は大きな被害を受けずに残りました。
実相寺には、日本にまつわる話が数多く伝わっています。ここにお寺を建てなければ国の気運が日本へ流れてしまうという風水の話や、「日本が栄えれば実相寺が滅び、日本が滅べば実相寺が栄える」という言い伝えも口承されています。付属の庵である百丈庵(ペクチャンアム)には、国宝に指定された百丈庵三層石塔があり、時間があればあわせて訪ねてみる価値があります。
実相寺には、百丈庵、西津庵(ソジナム)、薬水庵(ヤクスアム)の3つの付属の庵があります。お寺が智異山の麓にあるため、朝鮮戦争のときは、パルチザンと討伐軍の戦いが続いた地域のど真ん中にありましたが、お寺と文化遺産は大きな被害を受けずに生き残りました。国宝1点と宝物10点余りをはじめ、境内と庵に点在する文化遺産が多く、ゆっくりひとつずつ探して歩く楽しみがあります。
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