高興半島の先、鹿洞港(ノクトンハン)から海の向こうに手が届きそうな距離に見える島が小鹿島(ソロクト)です。島の形が小さな(小)鹿(鹿)に似ていることから、この名がつきました。海岸の松林とよく手入れされた公園は穏やかに見えますが、この島は100年以上にわたってハンセン病患者の隔離の場でした。美しい風景とつらい歴史の両方に向き合うことになる、韓国でも珍しい旅先です。
1916年に朝鮮総督府がこの地に小鹿島慈恵医院を設けたことで、島の歴史は大きく変わりました。日本の植民地時代には、全国のハンセン病患者を強制的に連れてきて収容する施設となり、患者たちは強制労働や断種手術といった人権侵害を受けました。英語圏の資料によると、1940年には患者数が約6,000人に達しました。島は患者が暮らす区域と職員の区域に分けられ、家族と会える日でも、一定の距離を置いて顔を見ることしかできなかったといいます。
解放(光復)後も、隔離政策は長く続きました。1945年8月には、自治を求めた患者数十人が病院の職員に殺害される事件が起き、断種・堕胎手術も1990年代前後まで続きました。2007年にハンセン病患者の被害事件に関する法律が制定されて、ようやく真相調査と補償が始まりました。
小鹿島には、患者が暮らした病舎地帯と、職員が暮らした官舎地帯の区分が今も残っています。検屍室の白い検屍台や、監禁室の狭い部屋を見たあとで海辺の松林を歩くと、同じ風景がまったく違って感じられるでしょう。島の聖堂や教会、円仏教の堂といった宗教施設は、長い孤立のなかで住民が心の支えにしてきた共同体の跡でもあります。1930年に患者たちが当時の院長を称えて建てた碑のように、抑圧だけではなく、人と人との物語も島のあちこちに刻まれています。