竹林のあいだの道を抜けると、低い土石の塀の下へ渓流の水が流れ込み、その水音をはさんで、小さな東屋と家が一軒、向かい合って立っています。潭陽 瀟灑園(タミャン・ソスェウォン)は、朝鮮中期の儒者が官職の代わりに自然を選び、自ら造り上げた庭園で、韓国の伝統庭園を語るときに真っ先に挙がる場所のひとつです。規模は小さいものの、渓谷や岩、木にほとんど手を加えず庭の中へ取り込んだ手法が、ここを特別な場所にしています。
庭を造ったのは梁山甫(ヤン・サンボ、1503〜1557)です。15歳で漢陽(ハニャン)に上り、静庵・趙光祖(チョ・グァンジョ)に学びましたが、1519年の己卯士禍で師が流罪となり、賜薬(毒薬)を受けて亡くなると、出世の志を捨てて故郷に戻りました。1520年代後半から1530年代にかけて、家の隣の渓谷に庭を整えました。「清らかでさっぱりしている」という意味の瀟灑(ソスェ)という名は、近しい親戚だった俛仰亭・宋純(ソン・スン)がつけたと伝えられています。
ここは、湖南(ホナム)地方の儒者たちが出入りして、学問や詩を語り合う場でもありました。河西・金麟厚(キム・インフ)は1548年に、庭のあちこちを詠んだ「瀟灑園四十八詠」を作りました。建物は1597年の丁酉再乱(慶長の役)で焼失しましたが、子孫たちが再建しました。1755年に当時の姿を刻んだ木版画「瀟灑園図」が残っており、昔の配置を知る手がかりとなっています。2008年に名勝に指定され、今も梁山甫の子孫がそばに暮らして庭を守っています。
庭園の面積は約4,060㎡で、渓谷を真ん中にはさんだ細長い台形をしています。渓流の水は雨のあとにいちばん豊かになり、乾燥した時期には水量が大きく減ります。雨上がりを意味する光風閣と霽月堂の名前のとおり、梅雨時や雨の翌日に訪れると、庭が意図した情景にいちばん近い姿を見られます。
瀟灑園の近くには、韓国歌辞文学館や息影亭(シギョンジョン)、環碧堂(ファンビョクタン)など、朝鮮の儒者たちの東屋が集まっていて、車で短く移動しながら見て回れます。光州湖(クァンジュホ)の湖水生態園も近くです。