ソウル城北区石串洞(ソッカンドン)にある懿陵(ウィルン)は、朝鮮第20代王の景宗(キョンジョン)と、二人目の王妃・宣懿王后(ソンウィ王后)が眠る王陵です。王と王妃の墳丘を左右に並べず、一つの丘に上下に配した珍しい造りが目を引きます。1960年代から30年あまり、中央情報部の庁舎の敷地内に閉じ込められ、一般の人が入れなかった王陵だという点も、ほかではなかなか聞けない話です。
景宗(1688〜1724)は粛宗と禧嬪張氏の息子で、母の死を見届けるという悲運を経て1720年に王位に就きました。在位中ずっと老論派と少論派の争いに悩まされ、わずか4年後の1724年、昌慶宮の環翠亭で37歳の生涯を閉じました。同じ年に天長山の丘に陵がつくられ、1730年に26歳で亡くなった宣懿王后は、そのすぐ下に葬られました。
このように一つの丘に王と王妃の墳丘を上下に置く形式を同原上下陵(トンウォンサンハルン)といいます。墳丘を左右に並べると、風水で気が最も盛んとされる「正穴」を外れると考え、こうした配置が選ばれました。上が景宗、下が宣懿王后の陵で、曲牆(墳丘の背後の塀)は景宗の陵にだけ巡らされています。
1960年代初め、中央情報部(現在の国家情報院)がここに移ってくると、陵の周りに庁舎や運動場、講堂が建ち、懿陵は一般に閉ざされました。紅箭門(ホンサルムン)と丁字閣(チョンジャガク)の間に人工の池までできるなど、損傷もひどいものでした。機関が瑞草区へ移った後の1996年に再び公開され、2003〜2005年には池を埋めて禁川橋(クムチョンギョ)を復元するなど、昔の姿を取り戻す工事が続きました。
当時の名残として、旧中央情報部講堂が国家登録文化遺産として残っています。建築家の羅相鎮(ナ・サンジン)の設計で1962年に建てられた建物で、1972年、分断後初めて南北が合意した7・4南北共同声明がここで発表されました。すぐ隣には、旧庁舎の敷地を使っている韓国芸術総合学校の石串洞キャンパスがあります。
懿陵は、2009年にユネスコ世界遺産に登録された朝鮮王陵40基のひとつです。広い芝生と天長山のふもとの森の道があり、地元の人々がよく訪れる静かな散歩道でもあります。春は陵の裏山に花が咲き、秋の紅葉も美しいです。
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