延坪島は、北朝鮮の黄海道・江翎(カンニョン)半島から約12km離れた、西海(黄海)5島の島です。かつては、イシモチの漁期になると1,500隻を超える漁船が集まり、海の上に市が立つ漁業の島でした。今はワタリガニ漁とともに、2010年の砲撃の記憶を伝える場所でもあります。静かな漁村の風景と、南北分断の現実の両方に向き合うことになる島です。
仁川(インチョン)広域市甕津(オンジン)郡延坪面に属し、住民の大半が暮らす大延坪島と、南へ約5km離れた小延坪島、小さな付属の島々からなります。大延坪島は北方限界線(NLL)から約3.4km離れており、堂島(タンソム)とは870mあまりの防潮堤でつながっていて、そこに旅客船の船着場があります。島のあちこちから貝塚や先史時代の土器が出土しており、ごく古くから人が住んでいたとみられます。朝鮮時代は黄海道の海州(ヘジュ)に属し、解放後に38度線以南となったことで京畿道甕津郡に編入され、1995年に仁川広域市の所属になりました。
延坪島はイシモチ漁で名高い島でした。5月のイシモチの漁期には1,500隻以上の漁船が集まり、海上の市である「パシ」が立ちましたが、1968年以降はなくなり、今はワタリガニの漁場として知られています。言い伝えによると、丙子胡乱(へいしこらん)のとき、林慶業(イム・ギョンオプ)将軍が清に人質として連れて行かれた世子を救いに向かう途中で食料が尽き、延坪島に船を着けて干潟に木の枝を挿しておきました。潮が引くと、枝ごとにイシモチがかかっていたといいます。そのため島ではイシモチ漁の始まりを林慶業と結びつけて語り、彼を祀る祠忠愍祠(チュンミンサ)が今も残っています。
延坪島近海では、1999年と2002年の2度、南北の海軍の間で交戦が起きました。2010年11月23日には、北朝鮮が大延坪島に砲弾170発あまりを撃ち込み、海兵隊員2人と民間人2人が亡くなりました。1953年の休戦協定以降、北朝鮮が韓国の領土を直接砲撃した初めての事例として記録されています。島では当時を記憶する施設や軍の部隊を頻繁に目にするので、落ち着いた気持ちで見て回りましょう。