ソウル龍山の元暁路の丘に残る、韓国初の神学校の建物(1892年)と、その付属聖堂(1902年)です。2つの建物はいずれもフランス人宣教師のコスト神父が設計して工事を監督し、赤レンガと尖頭アーチの窓が120年以上そのまま残っています。聖金大建(キム・デゴン)神父の遺骨を約50年間安置したカトリックの聖地でもあります。
イエス聖心神学校は、1885年に京畿道驪州(ヨジュ)で開校したのち、信仰の自由が少しずつ広がりつつあった1887年に、今の龍山へ移ってきました。当初は韓屋で寝起きしながら勉強していました。この丘はもともと、漢江を見下ろしていた東屋・涵碧亭(ハンビョクチョン)があった場所で、丙寅迫害のときに聖職者たちが処刑されたセナムトや、己亥迫害のときに多くの信者が命を落としたタンゴゲが近くに見えるところでした。
1891年5月に神学校の定礎式を行い、1892年6月25日、神学校の守護の祝日であるイエス聖心の祭日に祝別式を行いました。1928年に神学校が恵化洞(ヘファドン)へ移ってからは、聖職者の保養所や病院の分院として使われ、1956年に聖心修道会が韓国に入ってきたとき、ここを引き継ぎました。
2つの建物は、1977年に一緒に史跡に指定されたのち、2012年にそれぞれ「ソウル龍山神学校」と「ソウル元暁路イエス聖心聖堂」という別々の史跡に分けて、改めて指定されました。
2つの建物を設計したコスト神父は、ソウルの明洞(ミョンドン)聖堂と薬峴(ヤッキョン)聖堂の設計にも関わったパリ外国宣教会の宣教師です。西洋式のレンガ建築の技術がまだ珍しかった時代に、彼は中国人の技術者たちと一緒にレンガの建物を建て、韓国初期の聖堂建築の基礎を築きました。龍山の丘の2つの建物は、彼が残した作品の中で、神学校と聖堂がともに残る珍しい例です。
ここは、韓国人初の司祭である聖金大建神父の遺骨を祀った場所としても大きな意味があります。遺骨は約50年間ここに安置され、そのおかげで今も多くの巡礼者が訪れます。2つの建物とも、カトリックの聖地として登録されています。