釜山駅前の広場を渡り、大通りの向かい側に入っていくと、赤い提灯と漢字の看板が並ぶ路地が現れます。1884年に清国領事館が置かれ、華僑が集まって暮らし始めた釜山チャイナタウン、別名上海通りです。140年のあいだに清の商人、米軍、ロシアの船員が次々に行き交った通りで、路地ごとに釜山の近現代史が重なっています。
1884年8月に草梁(チョリャン)に清国領事館が設置されると、人々は龍頭山一帯にあった日本人居留地「倭館」になぞらえて、ここを「清館」と呼びました。領事館の周りには清国人の店兼住居が建ち、上海などから運んだ絹や布地、鏡、花靴を売っていました。嶺南地方の嫁入り道具の多くが、この清館通りから出たといわれます。韓国併合の直前には、華僑が338人暮らしていたという記録があります。当時の通りの東側、現在の釜山駅の場所は、埋め立て前の白い砂と松のある海辺でした。
光復と朝鮮戦争の後に米軍が駐屯し、1953年11月に釜山駅前の大火で中央洞の歓楽街が焼けたことで、この通りの一部は米軍相手の「テキサス通り」に変わりました。1990年代にはソ連崩壊後にロシアの船員や行商人が押し寄せ、ロシア語の看板が通りを埋め尽くしました。
1993年に釜山と上海が姉妹都市になり、1998年に互いの都市にそれぞれの象徴となる通りをつくることになって、約600mの区間が中国風に整備されました。両都市が共同で建てた上海門は、幅15.7m、高さ11.1mです。2007年にはチャイナタウン特区に指定されました。
1970年代には1万人に達した釜山の華僑は、2000年代初めには1,000人あまりに減りました。その代わり、中国に関わるお店や飲食店を訪れる観光客が増えたことで、ロシア系の商店街になっていた通りが、再び中国の街並みを取り戻しつつあります。