高敞邑城(コチャンウプソン)は、朝鮮時代に高敞県を守っていた邑城(城壁で囲んだ町)で、自然石を積んだ城壁が全周1,684mにわたってほぼそのまま残っています。城壁の上を一周でき、城内には再建された官衙(役所)の建物と孟宗竹の竹林があります。百済の時代にこの地域を「牟良夫里(モヤンブリ)」と呼んだことから、**牟陽城(モヤンソン)**という別名でも呼ばれています。
築城の時期は、資料によって朝鮮の端宗元年(1453年)とも、粛宗の時代に完成したともいわれ、はっきりしません。高敞邑城は長城の笠巌山城(イムアムサンソン)とともに、湖南(ホナム)地方の内陸を守る前線基地の役割を果たし、1965年に史跡に指定されました。
城は三度の戦いを経験したと伝わります。丁酉再乱(慶長の役)、東学農民革命、そして韓国戦争(朝鮮戦争)のときです。1894年、東学農民軍は井邑(チョンウプ)と興徳(フンドク)を経て高敞を占領すると、邑城の獄門を開いて囚人を解き放ち、民を苦しめていた者の家を焼き払ったといいます。このとき高敞県監は逃げ出したと伝えられています。
高敞邑城には踏城(タプソン)遊びという風習があります。石を頭にのせて城を一周すると脚の病気が治り、二周すると無病長寿に、三周すると極楽に行けるという言い伝えがあります。とくに閏月、なかでも閏3月にご利益が大きいとされました。現在は旧暦9月9日(重陽の節句)のころに開かれる高敞牟陽城祭で、韓服(ハンボク)姿で石をのせた行列が再現され、夜には韓紙(ハンジ)のランタンを手に城壁を歩く行事も行われます。