華厳寺(ファオムサ)は、智異山(チリサン)の南の麓、全羅南道 求礼(クレ)にある大きなお寺です。544年に最初に建てられたと伝わり、大韓仏教曹渓宗第19教区の本寺です。境内の真ん中に立つ覚皇殿(カッファンジョン)は、朝鮮時代の仏教建築の中でも指折りの壮大な2階建ての仏堂で、その前の大きな石灯や、4頭の獅子が支える石塔まで、国宝が一か所に集まっています。
寺の名前は『華厳経』の「華厳」にちなんでいます。縁起(ヨンギ)和尚が創建したと伝わり、643年に慈蔵(チャジャン)和尚が大きく拡張し、義湘(ウィサン)大師が王命を受けて石板に華厳経を刻んで保管したという記録があります。875年には道詵(トソン)和尚が再び増築しました。
1593年、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに、ほとんどの建物が焼けました。覚皇殿の場所には、もともと壁を華厳経の石板で囲んだ3層の丈六殿(チャンニュクチョン)がありましたが、このときに崩れ、今は破片だけがお寺に保管されています。碧巌(ピョガム)和尚が1630年から1636年にかけて大雄殿などを再建し、1702年(粛宗28年)に丈六殿の跡地に新しい仏堂が完成すると、粛宗が「覚皇殿」という名前を授けたといわれます。
華厳寺の伽藍配置は、山裾に沿って段階的に上がっていくように組まれています。一柱門から金剛門、天王門、普済楼を過ぎて大きな庭に至り、一番高い段の上に大雄殿と覚皇殿が立っています。悟りに向かって一歩ずつ上る過程を空間で表した構成だと解釈されています。早春には、覚皇殿の脇の紅梅が濃い赤色の花を咲かせ、多くの写真家が訪れます。境内の梅の木1本は天然記念物に指定されています。
華厳寺が最も栄えた統一新羅の景徳王のころには、81か所の庵が付属していたと伝わります。歳月とともにほとんどなくなり、韓国戦争のときには大きな被害も受けました。現在は、九層庵、金井庵、地蔵庵、緣起庵、内院庵、弥陀庵、宝積庵、南庵などが残っています。
華厳寺は、義湘大師が華厳思想を広めた華厳十刹のひとつです。壬辰倭乱で砕けた華厳経の石板は、1万点を超える破片として残り、「華厳石経」という名で宝物に指定されています。このほか、大きな法会のときに掲げる霊山会掛仏幀(国宝)、西五層石塔から出た舎利荘厳具、大雄殿の毘盧遮那三身仏の絵と木造仏像など、宝物級の遺物が数多くあります。文化遺産をひとつずつ探しながら歩いていると、時間があっという間に過ぎます。
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