智異山(チリサン)の老姑壇(ノゴダン)へ登る道沿いにあるお寺で、華厳寺(ファオムサ)、双磎寺(サンゲサ)とともに智異山三大寺院に数えられます。名前の「泉隠」は「泉が隠れた」という意味で、泉と蛇、そして火を防ぐ扁額にまつわる話が伝わっています。規模はこぢんまりとしていますが、宝物を6点も有しており、短い時間で仏教建築と仏画をあわせて見られます。
泉隠寺は新羅時代に建てられたお寺です。資料によって、828年にインドから来た僧の徳雲(トグン)が建てたとも、875年に道詵(トソン)が建てた寺を徳雲が改築したともいわれています。最初の名前は、澄んで甘い泉の水にちなんだ甘露寺で、高麗の忠烈王の時代には「南方第一禅院」として名を馳せました。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失したのち再建され、粛宗の時代の1679年に大規模に修復された際、名前が泉隠寺に改められました。再建のとき、泉によく現れていた大蛇を捕まえて殺したところ、泉が枯れてしまったという伝説が、名前の由来として伝わっています。
一柱門に掛かる**「智異山泉隠寺」の扁額は、朝鮮後期の名筆、円嶠(ウォンギョ)李匡師が書いたものです。泉が隠れたあとお寺で火事が頻繁に起きたため、李匡師が水の流れるような書体で扁額を書いて掲げたところ、火事が止まったという話が伝わっています。一柱門を過ぎると、渓谷にかかる橋彼岸橋(ピアンギョ)と、その上にのる楼閣垂虹楼**を渡って、お寺の中に入ります。
泉隠寺の宝物は、極楽宝殿と後仏幀画だけではありません。仏堂をそのまま小さくしたような殿閣の形をした金銅仏龕(宝物)は、中に仏像を二尊祀り、背面と左右の壁に毘盧遮那仏・薬師如来・阿弥陀如来の三仏会図を打ち出して刻み込んだ、繊細な作品です。扉の両側には、筋骨隆々の仁王像が守っています。このほか、観世音・大勢至菩薩坐像が宝物に指定されており、後仏幀画と同じ1776年に、同じ絵師たちが描いた三蔵幀画は、全羅南道の有形文化遺産です。仏堂は今も礼拝を捧げる場所ですので、中では仏画や仏像を静かにご覧ください。
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