昌寧(チャンニョン)の町の東にそびえる標高756mの山で、山頂部の広い平原は、秋には銀色のススキ、春にはツツジに覆われます。その平原を周囲約2.6kmの石の城火旺山城が囲んでいて、山の上に城郭とススキの原がともに広がる、めずらしい風景を見られます。1984年に郡立公園に指定されました。
名前の「火」のとおり、火旺山はずっと昔は火山だったと伝えられています。山頂の平原にある三つの池(龍池)が昔の噴火口の跡だという話も伝わっています。向かいの観龍山(クァンリョンサン)の観龍寺(クァンリョンサ)の創建説話には、元暁大師(ウォニョデサ)がこの池から9頭の龍が天に昇る様子を見たという話があり、二つの山がひとつの物語で結ばれています。
昌寧 火旺山城は国の史跡です。築かれた時期ははっきりしませんが、三国時代以前の、伽耶(カヤ)の山城とみられています。険しい北側の岩山を背にして、南の峰々のあいだの広い平地を囲む構造で、今も東門と西門、池の跡が残っています。朝鮮の世宗の時代に城としての機能を失いましたが、壬辰倭乱(文禄の役)のときに義兵将の郭再祐(クァク・ジェウ)がここを拠点に倭軍の進出を食い止めたことで、再び重要な存在になりました。洛東江(ナクトンガン)中流の穀倉地帯を見下ろす場所なので、昔から軍事上の要衝でした。
東の玉泉(オクチョン)の登山口から登ると、観龍山の麓にある観龍寺を通ります。壬辰倭乱のときに唯一生き残った建物である薬師殿と大雄殿がどちらも宝物で、お寺の上の岩の先にある龍船台(ヨンソンデ)には、統一新羅時代に作られた石造如来坐像(宝物)が広い野原を眺めて座っています。観龍寺一帯は国の名勝にも指定されているので、火旺山の登山と組み合わせれば、山城とススキ、古刹を一日ですべて見られます。
火旺山では1995年から、旧暦の1月15日にススキの原に火をつける「ススキ焼き」の行事が開かれていました。しかし2009年2月9日、行事の最中に突然の突風で炎が防火線を越え、7人が亡くなり、60人あまりが負傷し、お祭りはその後完全に廃止されました。現在、山頂のススキの原は、火を使わずに季節の姿のまま管理されています。