南原(ナムォン)市街の西、麒麟山(キリンサン)を背にして南の野原を見下ろす場所に、高麗時代の大寺院萬福寺(マンボクサ)の跡が残っています。寺は1597年の丁酉再乱(慶長の役)で焼失しましたが、宝物に指定された五重石塔と石仏、仏像の台座、幢竿支柱の4点が、今も元の場所を守っています。金時習の小説「萬福寺樗蒲記(マンボクサ・チョポギ)」の舞台でもあります。
萬福寺は、高麗の文宗(在位1046〜1083)の時代に建てたと伝わります。朝鮮時代の地理志には、東側に5階建て、西側に2階建ての殿閣があり、その中に高さ35尺(約10m)の金銅仏を祀っていたと記されています。大雄殿をはじめ多くの建物に数百人の僧侶が暮らす大きな寺でしたが、丁酉再乱で南原城が陥落した際に焼け、ついに再建されませんでした。
1979年から1985年まで7回にわたる発掘で、多くの建物跡と青磁・白磁、瓦が出土しました。中央に木塔を置き、東・西・北に法堂を置く「一塔三金堂」の配置だったことも、このときに明らかになりました。寺跡は1991年に史跡に指定されました。
朝鮮前期の文人・金時習(キム・シスプ)が著した『金鰲新話』は、韓国初の漢文小説とされており、その最初の物語がまさにこの寺を舞台にしています。孤独な青年・梁生(ヤンセン)が、萬福寺の仏様と樗蒲(チョポ、さいころ遊び)で賭けをして勝ち、美しい女性に出会いますが、実は彼女はすでにこの世を去った霊だった、という物語です。何もない寺跡に立って、小説の場面を思い浮かべると、風景がまた違って見えます。