慶州の西、仙桃山(ソンドサン)のふもとにある武烈王陵は、三国統一の基礎を築いた新羅第29代太宗武烈王・金春秋(キム・チュンチュ)の墓です。新羅の王陵の中で、墓の主がはっきり分かっている数少ない陵で、その根拠となった太宗武烈王陵碑(国宝)の亀の台座は、新羅の石造彫刻の傑作とされています。陵の裏には、大きな古墳が4基、丘に沿って続いています。
金春秋は、真徳女王の次に王位についた初めての真骨出身の王です。即位前から高句麗や唐を自ら行き来して外交手腕を示し、王になってからは唐と手を結んで百済を征服し、三国統一の基礎を固めました。『三国史記』によると、即位から8年目の661年6月に亡くなり、「太宗武烈」という諡号を受けました。統一は、息子の文武王の時代に成し遂げられます。
陵のすぐ後ろの丘陵には、西岳洞古墳群の大型の円墳が4基、上に向かって並んでいます。法興王、真興王、真智王、文興大王の陵と推定されることもあります。芝生の丘の間を歩きながら、仙桃山を背景に墓が重なって見える景色がきれいです。古墳群は常時開放で、無料です。
金春秋のそばには、いつも金庾信がいました。金春秋は金庾信の妹・文姫(ムニ)と結婚し、2人は政治と軍事でお互いを支え合い、百済の征服を導きました。金庾信の墓も武烈王陵からそれほど遠くない松花山(ソンファサン)のふもとにあり、あわせて回ると物語がつながります。
陵碑は、統一新羅の文武王元年にあたる661年に建てられました。亀の背には大きな蜂の巣形の六角形の文様が刻まれ、背の中央の碑身を差し込んでいた部分の周りには蓮の花が巡らされています。表現が写実的で力強く、韓国だけでなく東アジアでも優れた傑作とされています。墓の周辺は1972〜1973年に整備されて現在の姿になり、指定面積は28,487㎡です。