広い野原に、大きな礎石だけが残っています。けれどもこの場所には、かつて高さ80mに達したと推定される九重の木塔が立っていました。皇龍寺(ファンニョンサ)は、新羅が93年にわたって国力を結集して建てた最大の寺院で、今はその跡地で、新羅最大の寺院の規模を推し量れます。
553年、真興王(チヌンワン)は月城(ウォルソン)の東に新しい宮殿を建てていましたが、そこに黄色い龍(黄龍)が現れたと聞き、寺に変えて建てさせました。そのため、名前が皇龍寺です。574年には、高さ5mを超える丈六尊像が祀られましたが、インドのアショーカ王が仏像を作ろうとして失敗し、船に載せて送った金と鉄が新羅に着いて、その材料で作ったという話が伝わっています。
643年、唐から戻った慈蔵(チャジャン)律師の勧めで、外敵を防ぐための九重木塔を建てることになり、百済の匠阿非知(アビジ)が645年に完成させました。塔の各層は、新羅を脅かしていた国々を象徴していたといいます。九重木塔と丈六尊像は、新羅の三つの宝のうち二つでした。しかし1238年、モンゴルの侵入により、寺はすべて焼けてしまいました。
皇龍寺は、沼地を埋めた土地の上に建てられました。最初は、中門、木塔、金堂、講堂が南北に一列に並ぶ「一塔式」の配置でしたが、丈六尊像と木塔が入った後は、金堂の左右に小さな金堂を置く「一塔三金堂」の配置に変わりました。塔の左右には鐘楼と経楼が向かい合って立ち、鐘楼には754年に作った巨大な鐘が掛かっていたといいます。この鐘は、モンゴルの侵入のときに失われたとみられます。
金堂の壁には、新羅の画家率居(ソルゴ)が描いた松の絵があったという話が伝わっています。木塔跡から出た唐の白磁の壺は、当時の新羅と唐の交流を物語っています。