ジャガイモやニンニクが育つ畑のあいだに、草に覆われた低い半円形の丘が並んでいます。近づいてみると、口を開けたコンクリートの構造物、日本軍の戦闘機を隠していた格納庫です。「アルトゥル」とは「下の野原」を意味する済州島(チェジュド)の言葉で、済州島南西部の大静邑(テジョンウプ)の野原に、日本が軍用飛行場を造っていました。今は農地として使われていて、戦争の施設と畑が同居する、不思議な風景になっています。
もともとこの場所は、住民が代々農業をして牛を飼ってきた土地でした。日本は1930年代半ばに摹瑟浦(モスルポ)の住民を動員して飛行場を造り、1937年に日中戦争が始まると、約700km離れた中国の南京を爆撃する戦闘機がここから飛び立ちました。日本軍が上海を占領して、ここの海軍航空隊が中国本土へ移ると、飛行場は練習用の飛行場として使われました。その後、太平洋戦争の末期には連合軍の上陸に備えて大きく拡張され、地下陣地やトンネルが造られました。ここで神風特攻隊の操縦訓練が行われたともいわれています。飛行場の規模は、当初の約59万㎡から1945年ごろには約132万㎡に広がりました。朝鮮戦争のときには、韓国軍の訓練場としても使われました。
滑走路は、空軍の反対によって文化遺産への登録から外れました。そのため、飛行場の跡地全体ではなく、格納庫とバンカー、陣地だけが文化遺産に登録されています。格納庫の向こうに見える山房山(サンバンサン)と松岳山(ソンアクサン)は、この野原がどれほど広く平らなのかを実感させてくれます。