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韓国の観光スポットと見どころ

史跡から山道まで、ぜひ訪れたい場所を探しましょう。

206 か所
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牛巌史跡公園(ウアムサジョクこうえん)

史跡

牛巌史跡公園(ウアムサジョクこうえん)

대전광역시

朝鮮後期の大学者尤庵・宋時烈(ウアム・ソン・シヨル、1607〜1689)が晩年に弟子を教えていた、大田(テジョン)・佳陽洞(カヤンドン)の谷を公園に整えた場所です。渓谷の水が大庁(テチョン、板張りの広間)の下を通って池に流れるようにつくられた書斎南澗精舎(ナムガンジョンサ)が中心で、韓国の造園史の中でも独特な構造とされています。大田の都心にあって気軽に立ち寄れ、入場料はかかりません。 宋時烈と南澗精舎 宋時烈は、蘇堤洞(ソジェドン)に住んでいたとき、能仁庵(ヌンイナム)とい…

45–90 分
蔚州(ウルチュ)大谷里(テゴンニ)盤亀台(パングデ)岩刻画

史跡

蔚州(ウルチュ)大谷里(テゴンニ)盤亀台(パングデ)岩刻画

울산

盤亀台岩刻画は、蔚山・大谷川(テゴクチョン)の断崖に、先史時代の人々がクジラと狩りの場面を刻んだ岩絵です。クジラの種類まで見分けられるほど生き生きと刻まれた絵は、世界の岩刻画の中でも珍しく、2025年7月に川前里(チョンジョンニ)岩刻画とともに「盤亀川(パングチョン)の岩刻画」という名前でユネスコ世界遺産になりました。ただし、岩のすぐ前までは行けず、小川を挟んだ向かいの展望台から眺める場所だと知って訪れると、よりスムーズです。 岩に刻まれたクジラ漁 絵が集中している主な岩面…

90–180 分
蔚珍 鳳坪里新羅碑(ポンピョンニ新羅碑)

史跡

蔚珍 鳳坪里新羅碑(ポンピョンニ新羅碑)

울진군

1988年、蔚珍(ウルチン)の竹辺面(チュクビョンミョン)鳳坪里(ポンピョンニ)の田んぼで土を掘って運んでいたとき、びっしりと文字が刻まれた細長い石が現れました。村の住民が気づいて届け出たこの石が、蔚珍 鳳坪里新羅碑で、新羅の法興王の時代、524年に建てられたとみられる国宝です。新羅が東海岸へ領土を広げていた時代に、新たに編入された村で起きた抵抗とその処罰を記録した、1,500年前の貴重な公文書です。 碑に刻まれた処罰の記録 当時の新羅は東海岸に悉直州(シルジクチュ)を置き…

40–60 分
原州 江原監営(ウォンジュ カンウォンガミョン)

史跡

原州 江原監営(ウォンジュ カンウォンガミョン)

원주시

原州(ウォンジュ)の旧市街、車が行き交う元日路(ウォンイルロ)沿いに、赤い柱の2階建ての門楼が立っています。朝鮮時代の約500年間、江原道全体を治めていた観察使の官庁、江原監営の正門・布政楼(ポジョンヌ)です。門をくぐると、観察使の執務室である宣化堂(ソンファダン)と、池と東屋が調和した後苑が続き、全国に残る監営のなかでも、昔の配置をよく蘇らせた場所とされています。入場料なしで夜10時まで開いているので、夕方の散歩コースにも向いています。 江原道の中心だった原州 1395年…

30–90 分
原州(ウォンジュ)法泉寺跡(ポプチョンサジ)

史跡

原州(ウォンジュ)法泉寺跡(ポプチョンサジ)

원주시

南漢江からほど近い、原州・富論(プロン)面の明峰山(ミョンボンサン)の麓にある広いお寺の跡に、高麗の僧塔の傑作とされる国宝が、110年余りぶりに戻ってきました。原州・法泉寺跡は、高麗の文宗の時代に国の師であった智光国師・海麟(ヘリン、984〜1070)が出家し、生涯を終えた寺の跡地です。寺跡には国宝の智光国師塔碑が元の場所を守っており、すぐ隣の法泉寺跡遺跡展示館の中で、長い放浪の末に戻った智光国師塔を見られます。 歴史:法相宗の中心寺院 法泉寺は統一新羅の時代に建てられ、高…

60–90 分
李奎報墓(イ・ギュボのはか)

史跡

李奎報墓(イ・ギュボのはか)

강화군

高麗の詩人・李奎報(イ・ギュボ)は、「詩と酒と琴」を愛し、酒を主人公にした小説を書き、車輪のついた東屋を考案するほど、風変わりな人物でした。モンゴルの侵入で高麗の朝廷が江華島へ移ったときにここで晩年を過ごし、1241年に74歳で亡くなって、鎮江山(チンガンサン)の東麓に葬られました。江華郡吉祥面(キルサンミョン)吉直里(キルジンニ)にある李奎報の墓は、高麗の文人の墓の中でも珍しく、場所がはっきり伝わっているところです。 白雲居士・李奎報 李奎報(1168〜1241)の号は白…

30–45 分
益山 弥勒寺址(ミルクサジ)

史跡

益山 弥勒寺址(ミルクサジ)

익산시

益山 弥勒寺址は、百済の武王の時代に建てられた百済最大の寺院跡で、韓国に残る最も古く最大の石塔、弥勒寺址石塔が立つ場所です。いまは広い芝生に石塔と建物の跡だけが残っていますが、塔2基と木塔の跡が一列に並ぶ配置から、かつての規模をうかがえます。2015年に「百済歴史遺跡地区」の一つとして、ユネスコ世界遺産に登録されました。 歴史:池を埋めて建てたお寺 『三国遺事』によると、武王(在位600〜641)と王妃が龍華山(ヨンファサン)のふもとの大きな池で弥勒三尊が現れるのを見て、池…

90–150 分
益山 双陵(イクサン サンヌン)

史跡

益山 双陵(イクサン サンヌン)

익산시

益山(イクサン)市石旺洞(ソグァンドン)の松林の中に、丸い土まんじゅうの墓が2基、南北に並んでいます。益山双陵は、弥勒寺(ミルクサ)を建てた百済の武王とその王妃の墓とされてきた場所で、2018年に大きいほうの墓から出た人骨が武王に関する記録と合致して、改めて注目を集めました。薯童謡(ソドンヨ)の物語の主人公を思い浮かべながら歩くのにぴったりの、静かな王陵です。 大王陵と小王陵 2基の墓が対になっているので、双陵(サンヌン)と呼ばれます。墳丘と石室が大きい北側の墓を大王陵、南…

30–40 分
益山 王宮里遺跡(ワングンニ遺跡)

史跡

益山 王宮里遺跡(ワングンニ遺跡)

익산시

益山(イクサン)の王宮面(ワングンミョン)の低い丘の上、広い芝生のまんなかに、五層石塔がひとつ、すっくと立っています。いまは塔だけが残っていますが、ここは百済の武王(在位600〜641)のときにつくられた王宮があった場所です。宮殿がお寺に変わった珍しい歴史を抱く場所で、2015年にユネスコ世界遺産百済歴史遺跡地区に登録されました。 歴史:王宮からお寺へ 王宮里遺跡は、龍華山(ヨンファサン)から伸びる稜線の端の低い丘陵にあります。1989年から続く発掘で、百済末期に王宮として…

60–120 分
仁川郷校(インチョンヒャンギョ)

史跡

仁川郷校(インチョンヒャンギョ)

인천광역시

仁川市彌鄒忽(ミチュホル)区文鶴洞(ムナクトン)、昇鶴山(スンハクサン)のふもとに、朝鮮時代の仁川の町の公立学校だった仁川郷校があります。すぐ隣には仁川都護府の官衙の建物が再現されており、朝鮮時代の一つの町の「学校」と「役所」を一か所で見られる場所です。今も春と秋に孔子と聖賢に祭祀をささげ、伝統礼節の教育を続けています。 郷校とはどんなところ? 郷校は、朝鮮時代に国が町ごとに建てた教育機関です。孔子や聖賢の位牌を祀って祭祀を行うことと、地方の学生を教えることの、二つの役割を…

40–60 分
臨津閣(イムジンガク)

史跡

臨津閣(イムジンガク)

파주시

臨津閣(イムジンガク)は、京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)の臨津江(イムジンガン)のほとりにある観光地で、分断のために故郷へ帰れない離散家族を慰めようと、1972年に造成されました。望拝壇、自由の橋、銃弾の跡が残る蒸気機関車など、朝鮮戦争と分断を物語る場所が一か所に集まっています。広い芝生の平和ヌリ公園も隣にあり、散策しながら見て回れます。非武装地帯(DMZ)の安保観光に出発する拠点でもあります。 見どころ - 望拝壇(マンベダン):北に故郷を持つ離散家族の方々が、旧正月…

90–180 分
長城 筆巌書院(ピラムソウォン)

史跡

長城 筆巌書院(ピラムソウォン)

장성군

筆巌書院(ピラムソウォン)は、朝鮮中期の性理学者河西 金麟厚(ハソ・キム・インフ、1510〜1560)の学問と徳をたたえるために建てられた書院です。金麟厚は湖南地方の出身者として唯一、文廟に祀られた人物であるため、この書院は長いあいだ湖南儒学の中心とされてきました。2019年には、陶山書院(トサンソウォン)、紹修書院(ソスソウォン)などとともに、「韓国の書院」9か所のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録されました。広い野原の真ん中の平地にあるので、塀の中の配置をひと目で読み取…

45–90 分
張旭鎮古宅(チャン・ウクチンこたく)

史跡

張旭鎮古宅(チャン・ウクチンこたく)

용인시

韓国の第1世代の洋画家張旭鎮(チャン・ウクチン、1917〜1990)が、生涯の最後の時期を過ごした家です。龍仁(ヨンイン)・馬北洞(マブクトン)のマンション団地のあいだに、朝鮮末期の京畿道の民家である韓屋と、画家が自分の絵の中の家をもとに自ら設計した洋館が、あわせて残っています。2008年に「龍仁 張旭鎮家屋」の名で国家登録文化遺産となり、現在は遺族が設立した張旭鎮美術文化財団が管理しています。 画家が手直しして使った韓屋 張旭鎮は1986年から亡くなるまでこの家に住み、絵…

40–90 分
在韓国連記念公園

史跡

在韓国連記念公園

부산

釜山(プサン)南区の芝生に低い墓碑が整然と並び、その上で22か国の国旗がはためいています。在韓国連記念公園は、世界でただひとつの国連軍墓地で、朝鮮戦争で戦死した11か国の将兵2,300人あまりが眠っています。 歴史:戦争のさなかにつくられた墓地 国連軍司令部は1951年1月18日にここで戦死者の墓地をつくり始め、同年4月に完成させました。その後、開城(ケソン)、仁川(インチョン)、大田(テジョン)、大邱(テグ)、密陽(ミリャン)、馬山(マサン)などに仮埋葬されていた遺骨がこ…

60–90 分
全州 慶基殿(キョンギジョン)

史跡

全州 慶基殿(キョンギジョン)

전주시

全州韓屋村(チョンジュハノクマウル)のど真ん中、赤い紅箭門(ホンサルムン)の向こうに、朝鮮王朝の出発点を偲ぶ空間があります。全州 慶基殿(キョンギジョン)は、朝鮮を建国した太祖・李成桂(イ・ソンゲ)の肖像画、すなわち御真(オジン)を祀った場所です。全州が太祖の一族である全州李氏の本貫(ルーツの地)だったため、王朝はここに特別な意味を置きました。 歴史:御真を守り抜いた600年 太宗は1410年、全州・慶州(キョンジュ)・平壌(ピョンヤン)に太祖の御真を祀り、御容殿(オヨンジ…

45–90 分
全州 楸川台(チュチョンデ)

史跡

全州 楸川台(チュチョンデ)

전주시

全州(チョンジュ)の北、八福洞(パルボクトン)の、広く流れる全州川(チョンジュチョン)のほとりの岩の上に、丹青を施した東屋が1棟立っています。楸川台(チュチョンデ)は、朝鮮の成宗の時代に兵曹参判や大司憲を務めた李瓊仝(イ・ギョンドン)が、官職を退いて故郷の前を流れる小川「楸川」で釣り糸を垂れながら晩年を過ごした場所です。マンション団地や道路が近い都心ですが、水辺の東屋と石碑が調和した静かな憩いの場なので、川辺の散歩やサイクリングの途中に立ち寄るのにぴったりです。 歴史:高い…

15–60 分
全州 豊沛之館(チョンジュ・プンペジグァン)

史跡

全州 豊沛之館(チョンジュ・プンペジグァン)

전주시

全州市街のまんなか、車と人が行き交う忠敬路(チュンギョンノ)沿いに、大きな瓦屋根の建物が構えています。全州 豊沛之館、一般に全州客舎(チョンジュ・ケクサ)と呼ばれるこの建物は、朝鮮時代に全州を訪れた役人や使臣を迎えて泊めた場所で、国の宝物に指定されています。軒下に掲げられた巨大な扁額が、この建物の名前であり、全州という都市の誇りを示しています。 歴史:王をまつる客の家 「客舎」とは、客が泊まる家という意味で、朝鮮時代には村ごとにひとつずつ置かれました。客舎は客をもてなす宿で…

20–30 分
井邑 古阜郷校(コブヒャンギョ)

史跡

井邑 古阜郷校(コブヒャンギョ)

정읍시

井邑(チョンウプ)市古阜面(コブミョン)の村の奥の丘に建つ古阜郷校は、朝鮮時代に国が建てた地方の学校であり、孔子と聖賢に祭祀を捧げた場所です。紅箭門から外三門、明倫堂、大成殿まで、郷校の基本的な建物がそのまま残っており、郷校とはどのような構造なのかを一度に理解するのにぴったりです。1894年に東学農民革命が始まった古阜を巡る歴史の旅に、あわせて加えてみる価値があります。 歴史 郷校は、孔子と諸聖賢に祭祀を捧げ、地方の人々を教えるために国が建てた教育機関です。古阜郷校が最初に…

20–40 分
井邑 武城書院(ムソンソウォン)

史跡

井邑 武城書院(ムソンソウォン)

정읍시

ほとんどの書院は村から離れた景色のよい場所に位置していますが、井邑(チョンウプ)市漆宝面(チルボミョン)の武城書院は村の真ん中にあります。新羅末の学者崔致遠(チェ・チウォン)をたたえる祠堂から始まり、数百年にわたって地域の儒者と住民がともに守ってきた場所で、2019年に「韓国の書院」9か所の一つとして、ユネスコ世界遺産に登録されました。 歴史:崔致遠の町から始まった書院 崔致遠は、新羅末の886年ごろ、現在の井邑一帯である泰山(テサン)の太守として赴任し、町を治めました。彼…

30–40 分
済州 観徳亭(チェジュ クァンドクチョン)

史跡

済州 観徳亭(チェジュ クァンドクチョン)

제주시

済州の旧市街の真ん中で、軒が低く長く伸びた楼閣がひとつ、広場を見下ろしています。済州 観徳亭は、1448年に兵士たちの弓の訓練場として建てられた建物で、済州でもっとも古い建物のひとつです。この前の広場は、600年近く、済州の人々が集まり、抵抗し、祭りを開いてきた場所で、建物ひとつに島の歴史が幾重にも積み重なっています。 歴史:弓場から広場へ 観徳亭は、世宗30年の1448年に、済州牧使(按撫使)の辛淑清(シン・スクチョン)が軍事訓練のために建てました。「観徳」は、『礼記』の…

20–60 分
済州 三姓穴(サムソンヒョル)

史跡

済州 三姓穴(サムソンヒョル)

제주시

済州(チェジュ)市の真ん中、道路とホテルの間に、古い木々に囲まれた静かな森があります。その中の芝生に、くぼんだ穴が三つあり、済州の人々はここから島の歴史が始まったと信じてきました。三姓穴は、耽羅国(タムナ)を建てた三神人が地中から湧き出したという聖地です。 神話:地から湧き出た三人 ずっと昔の済州には人がいませんでしたが、ある日、この三つの穴から高乙那・良乙那・夫乙那(コウルラ、ヤンウルラ、プウルラ)の三神人が湧き出したといいます。三人は狩りをしながら毛皮の服を着て暮らして…

40–60 分
済州 ハンパドゥリ抗蒙遺跡

史跡

済州 ハンパドゥリ抗蒙遺跡

제주시

涯月(エウォル)の中山間のなだらかな丘に、草に覆われた土塁が長く続いています。済州 ハンパドゥリ抗蒙遺跡は、高麗朝廷がモンゴルと講和したあとも最後まで戦った三別抄(サンビョルチョ)の最後の拠点で、1271年ごろに土を突き固めて築いた城の跡です。城は1273年に麗蒙連合軍に陥落させられ、今は復元された土城と発掘現場、展示館が、その物語を伝えています。 歴史:珍島から済州へ、三別抄最後の2年 1270年、高麗朝廷がモンゴルと講和して江華島から開京に戻ると、軍事組織の三別抄はこれ…

45–90 分
済州4・3平和公園(チェジュ・サミ・ピョンファゴンウォン)

史跡

済州4・3平和公園(チェジュ・サミ・ピョンファゴンウォン)

제주시

済州市奉蓋洞(ポンゲドン)の中山間の広い丘に、低い石垣と碑が長く連なっています。済州4・3平和公園は、1947年から1954年まで続いた済州4・3事件で犠牲になった人々を追悼し、その歴史を記録する公園であり、記念館でもあります。美しい風景の陰に隠れた済州の現代史と向き合う場所で、旅の途中で一度は時間をつくって訪れる価値があります。 済州4・3事件とは 済州4・3事件は、1947年3月1日を起点に1954年9月21日まで済州で続いた武力衝突と鎮圧の過程で、多くの住民が犠牲にな…

90–150 分
堤川 獅子頻迅寺跡(サジャビンシンサジ)四獅子九層石塔

史跡

堤川 獅子頻迅寺跡(サジャビンシンサジ)四獅子九層石塔

제천시

忠清北道・堤川(チェチョン)市寒水面(ハンスミョン)の松渓里(ソンゲリ)、月岳山(ウォラクサン)の松渓渓谷へ入る道沿いの空き寺跡に、石塔がひとつ立っています。獅子頻迅寺跡 四獅子九層石塔は、上層基壇で4頭の獅子が塔身を支え、その中央に頭巾をかぶった人物像が座る、独特な高麗時代の塔です。下層基壇に1022年という年号と建立の理由が刻まれていて、他の石塔の年代を推し量る基準になっている塔でもあります。 契丹を防いでほしいという祈り 塔の下層基壇の面石には、寺の名前とともに、高麗…

15–30 分