All attractions (110)

수원시
水原華城(スウォン・ファソン)の南、八達山(パルタルサン)の麓にある朝鮮時代の郷校(ヒャンギョ)です。正祖が華城の新都市をつくる際に、今の場所に移して建てた郷校で、孔子を祀る大成殿は、京畿道の郷校の大成殿のなかで最大で、2020年に宝物に指定されました。華城行宮(ファソンヘングン)と八達門から歩いて行けるので、華城の旅に1時間ほど加えて見るのにぴったりです。 花山の下から八達山の下へ 郷校とは、朝鮮時代に地方に設けられた官立の教育機関で、孔子や聖賢に祭祀を行い、町の若者たち…

가평군
加平(カピョン)の祝霊山(チュンニョンサン)のふもとにあるアチムコヨ樹木園(朝の静けさの樹木園)は、「静かな朝の国」という韓国の古い異名から名前をとった園芸樹木園です。三育大学園芸学科のハン・サンギョン教授が自ら設計し、1996年5月にオープンしました。朝鮮半島の形をした下景庭園をはじめ、20余りのテーマ庭園に約5,000種の植物が育っています。冬は庭園に明かりをともす「五色星光庭園展」で、夜の風景が一変します。 石ころ畑から庭園へ 樹木園は1992年に初めて構想され、19…

안산시
始華湖(シファホ)に流れ込む川の汚れた水を、葦原でろ過するためにつくられた、韓国初の大規模な人工湿地です。1997年に着工し、2005年に完成して、今では葦原のあいだの木のデッキに沿って、サギやカモ、運がよければキバノロにまで会える生態公園になりました。入場料はかからず、半日のんびり歩くのにぴったりです。 「死の湖」を生き返らせるためにつくられた湿地 1987〜1994年、始華防潮堤が海をせき止めて湖になると、始華湖には工場排水や生活排水がたまりました。水質が農業用水の基準…

안산시
真冬でもヤシの木の下を歩ける、市立の植物園です。安山(アンサン)・尚録区(サンノクク)の星湖(ソンホ)公園の中にある安山植物園は、2001年にオープンし、ピラミッド型のガラス温室3棟に、熱帯植物と韓国の中部・南部地方の植物を分けて植えてあります。入場料は無料で、都心から近いため、近所の人が散歩がてら立ち寄る場所ですが、すぐ隣に実学者・星湖・李瀷(イ・イク)の墓と星湖博物館があり、半日のお出かけにまとめるのにぴったりです。 三つの温室 - 第1展示館――熱帯植物園:ヤシの木を…

안성시
安城(アンソン)・陽城面(ヤンソンミョン)の徳峰里(トクポンニ)、村の入口の丘にある徳峰書院は、朝鮮の粛宗の時代に直言をして命を落とした文臣呉斗寅(オ・ドゥイン、1624〜1689)を祀る書院です。規模は小さいですが、1871年に興宣大院君(フンソンデウォングン)が出した書院撤廃令でも取り壊されず、生き残った全国47の書院のひとつであるという点が特別です。傾斜地に講堂と祠堂を順番に配置した、端正な構えを見に行くのにぴったりです。 歴史:仁顕王后の廃位に立ち向かった儒者 呉斗…

안성시
松林を背景に、2,000個を超える甕が並ぶ姿は、写真で見ても目を引きます。安城(アンソン)市・一竹面(イルジュクミョン)にある瑞日農園は、韓国産の大豆でメジュ(味噌玉麹)を作り、チョングクチャン(納豆に似た発酵食品)、テンジャン(味噌)、カンジャン(醤油)、コチュジャンを昔ながらの方法で仕込む、伝統の醤(ジャン)の農園です。甕の並ぶ庭を歩き、農園で仕込んだ醤で整えた食卓まで味わうと、「醤の味」という言葉が新しく響いてきます。 醤のための農園 瑞日農園は1983年に開園しまし…

안성시
安城で最も高い山、瑞雲山(ソウンサン)の北東の麓、森へと続く長い石段の先に、大雄殿が見下ろすお寺があります。石南寺は、建物が数棟しかない小さなお寺ですが、朝鮮初期の建築様式をよく保つ霊山殿(宝物)と、三段の石垣の上に重なるように建つ伽藍配置のおかげで、安城八景のひとつに数えられています。ドラマ『トッケビ』のロケ地としても知られています。 数百人の修行僧が暮らしたお寺 寺の沿革によると、石南寺は新羅の文武王20年(680)に創建されました。創建した僧侶の名前は、資料によって石…

안성시
安城総合運動場の隣の芝生に立つ瓦屋根の家は、一見ふつうの韓屋のようですが、今に残る客舎建築のなかで最も古い建物です。高麗の恭愍王(コンミンワン)の時代、1363年以前に建てられ、学校の教室や図書館として使われながら二度も場所を移しましたが、屋根の下の木組みには、高麗末の大工の技が今もそのまま残っています。2021年に宝物に指定された安城客舎です。 客舎とはどんな建物? 客舎は、朝鮮時代の邑(ゆう)の官衙の中心となる建物です。中央の正庁には、王を象徴する殿牌を祀り、邑の長官が…

안양시
安養(アニャン)という都市の名前は、お寺の名前から来ています。高麗時代にこの場所にあった安養寺(アニャンサ)の跡に、建築家の金重業(キム・ジュンオプ)が1959年に設計した、旧製薬工場の建物を改装してオープンしたのが安養博物館です。正門の隣には、827年に建てられた石柱が一対立っていて、建立年を刻んだ幢竿支柱(寺で幡竿を支える石柱)としては、国内で唯一のものです。統一新羅の寺跡と高麗の寺跡、1950年代の工場建物がひとつの庭に重なっているため、規模は小さくても、見どころがぎ…

이천시
利川(イチョン)市街のまんなか、マンションの団地のあいだに、四角い池の安興池があり、その水辺に、色鮮やかな丹青の亭(あずまや)愛蓮亭が立っています。朝鮮の王たちが、世宗大王陵(ヨンルン)に参拝した帰り道に立ち寄って休んだ場所で、名前は世祖・成宗の時代の宰相申叔舟(シン・スクチュ)がつけたと伝えられています。赤い木の橋で池を渡りながら、ぐるりと一周するのにぴったりの、都心のオアシスです。 歴史:申叔舟が名づけた亭 いつ最初に建てられたのかは、はっきりしません。朝鮮の文臣・任元…

양주시
秋になると、楊州の光四洞の広い野原が、赤紫色、ピンク色、白色の花に覆われます。ナリ農園は、国内最大のセンニチコウ(千日紅)の群落地として知られる場所で、毎年9月末から10月中旬にかけてセンニチコウ祭りが開かれます。ソウルの北から近く、秋の花のお出かけにぴったりです。 千日のあいだ紅い花 センニチコウは、夏から秋まで長く咲く花で、「千日のあいだ紅い色を保つ」という名前のとおり、摘んで乾燥させても色があせにくい花です。そのため、古くから変わらない心の象徴とされ、ドライフラワーや…

양주시
楊州(ヤンジュ)の天宝山(チョンボサン)の南西の麓に、石垣が階段のように何段にも積まれた広い敷地が檜巌寺跡(フェアムサジ)です。高麗末から朝鮮前期まで国内最大の寺院で、王位を退いた太祖・李成桂(イ・ソンゲ)が滞在して修行した王室寺院でもあります。建物はすべて失われましたが、残る礎石と石垣だけでもその規模が実感でき、目の前の博物館が昔の姿を再現して見せてくれます。 インドの僧が建て、王室が育てた寺 伝えるところによれば、檜巌寺は1328年、元を経て来たインド僧の指空(ジゴン)…

용인시
エバーランドは、京畿道(キョンギド)龍仁(ヨンイン)にある韓国最大のテーマパークです。アトラクションだけでなく、パンダや猛獣を見られる動物園、季節ごとに花の祭りが開かれる庭園、ウォーターパークキャリビアンベイが、ひとつのリゾートに集まっています。2018年には約585万人が訪れて、世界のテーマパーク来場者ランキングで19位になりました。 歴史:自然農園からエバーランドへ エバーランドは1976年4月、「龍仁自然農園」という名前で開園しました。開園日は資料によって4月17日ま…

여주시
高達寺址(コダルサジ)は、驪州市北内面(プンネミョン)の恵目山の麓に残る大きな寺院跡です。764年に建てられた高達寺は、高麗の時代に王室の庇護を受ける大寺院へと成長しましたが、いつ、なぜ廃寺になったのかは分かっていません。建物は消えても、広い草地のあちこちに国宝の僧塔や宝物の石造物がそのまま残っていて、石彫の力強さと技を間近に見られる場所です。 大寺院の興亡 高達寺は、新羅の景徳王23年(764年)に創建されました。新羅末には、九山禅門のうち鳳林山門を開いた玄昱(ヒョヌク、…

여주시
驪州(ヨジュ)市街の南漢江(ナマンガン)のほとり、楼閣の迎月楼(ヨンウォルル)のすぐ下の川岸に、大きな花崗岩の岩が顔を出しています。馬巌(馬巖)、つまり「馬の岩」です。この岩から黄色い馬と黒い馬が躍り出たという伝説から、驪州の古い名前黄驪(ファンニョ)が生まれたと伝わり、驪興閔氏の始祖が生まれた場所だという話も宿っています。川の向こうには神勒寺(シンルクサ)が見えます。 物語:町の名前になった岩 伝説では、この岩から黄馬と驪馬、つまり黄色い馬と黒い馬が出てきて、それで町の名…

여주시
韓国のお寺は深い山の中にあることがほとんどですが、驪州(ヨジュ)の神勒寺(シルルクサ)は南漢江(ナムハンガン)の水辺の岩の丘に寄り添うように建っています。川を見下ろす高麗時代のレンガ塔、大理石を積み上げた多層石塔、高麗の高僧・懶翁(ナオン)の浮屠(ブド)まで、宝物が8点も集まっていて、小さな境内をゆっくり歩きながら見るものがたくさんあります。驪州市内から約3kmの距離にあり、世宗大王陵とあわせて1日コースにまとめるのに向いています。 歴史:元暁の創建伝説と懶翁 お寺は、新羅…

여주시
ハングルを創製した世宗大王と昭憲王后が一緒に眠る陵が、驪州(ヨジュ)の英陵(ヨンヌン)です。朝鮮王陵の中で初めて、王と王妃を一つの墳丘に合葬した陵で、同じ陵域には孝宗と仁宣王后の寧陵(ニョンヌン)もあります。松林の道をたどって2つの王陵を結んで歩くと、ユネスコ世界遺産に登録された朝鮮王陵ならではの静かな雰囲気を味わえます。 歴史:ソウルから驪州へ移された陵 英陵は、1446年に昭憲王后が先に亡くなったことで、現在のソウル瑞草区にある献陵(ホンヌン)の敷地内に最初に造られ、1…

가평군
加平(カピョン)の恋人山(ヨニンサン)は、名前からして由来のある山です。もともと決まった呼び名がなかったため、加平郡が名前を公募し、1999年から「愛が実る場所」という意味を込めて恋人山(戀人山)と呼ばれています。標高1,068mの頂上と清らかな龍湫渓谷(ヨンチュゲゴク)、5月に稜線を覆うヤマツツジのおかげで、首都圏から近い渓谷の登山地として親しまれています。 京畿道が直接管理する山 恋人山は2005年に道立公園に指定され、2018年から京畿道が直接管理しています。恋人山を…

연천군
漢灘江(ハンタンガン)沿いの広い丘にある全谷里遺跡は、韓国でもっとも有名な旧石器遺跡です。ここから出土した握斧(ハンドアックス)は、ヨーロッパやアフリカのアシューリアン石器と同じ形を備えたもので、東アジアでは初めて確認された例でした。それまで学界では、東アジアにはこのような石器はないとされていたため、全谷里の発見は、世界の旧石器研究で大きな注目を集めました。 歴史:川辺で拾った石ひとつ 遺跡を見つけたのは、学者ではなく、ひとりのアメリカ軍兵士でした。東豆川(トンドゥチョン)…

연천군
臨津江(イムジンガン)の玄武岩の断崖の上に、草に覆われた高い土手がそびえています。ぱっと見は丘のようですが、三国時代に築かれた城壁です。漣川(ヨンチョン)瓠蘆古塁(ホロゴル)は、川と断崖をそのまま城壁にして築いた三角形の城で、臨津江が高句麗と新羅・百済の国境の川の役割を果たしていた時代の痕跡です。晩夏には城の前がヒマワリ畑に覆われ、夕焼けを見に来る人も多いです。 断崖と川を利用した城 瓠蘆古塁は、北東から南西へ流れる臨津江と支流が出合ってできた三角形の台地の上にあります。二…

오산시
京畿道・烏山市の金岩洞にある支石墓公園(コインドル公園)には、青銅器時代の墓である支石墓(ドルメン)が9基、芝生のあちこちに点在しています。マンション団地のあいだにある都市公園ですが、巨大な花崗岩の蓋石がのる風景は、青銅器時代の墓と現代の都市を、ひとつの空間に重ね合わせてくれます。春は牡丹とバラ、秋は紅葉が支石墓のまわりを彩り、季節ごとに違った表情を見せます。 金岩里支石墓群 支石墓は青銅器時代を代表する墓で、主に経済力や政治権力を持った支配層の墓として知られています。ここ…

오산시
京畿道(キョンギド)烏山(オサン)市・芝串洞(チゴクトン)、野原の真ん中にそびえる禿山の頂上を、城壁がぐるりと囲んでいます。壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄・慶長の役)のとき、権慄(クォン・ユル)将軍が2万の軍勢で守り抜いた禿山城(トクサンソン)です。山城の最大の弱点は水が足りないことでしたが、権慄が倭軍の目の前で白米を馬にかけ、水で洗っているふりをして敵をだましたという洗馬台(セマデ)の伝説は、今もこの山の名のように語り継がれています。 百済から正祖まで 禿山城がいつ最初…

시흥시
名前に「島」の字が付いていますが、烏耳島(オイド)はもう島ではありません。日本統治時代に干潟に塩田ができ、続いて干拓が進んで陸とつながり、今では首都圏電鉄4号線と水仁・盆唐線の終着駅の名前としてのほうがなじみ深いでしょう。広い西海(黄海)の干潟、防潮堤沿いの散策路、日暮れ時の夕焼け、焼き貝の通りがひとつの場所に集まっていて、ソウルや仁川(インチョン)から半日の海辺のお出かけにぴったりです。 歴史:島が陸になるまで ここには先史時代から人が暮らしていました。入口側の丘に広がる…

과천시
正祖(チョンジョ)が父・思悼世子(サドセジャ)の墓がある水原(スウォン)へ向かう途中で休み、「景色が美しく体が安らぐ」として名前まで授けた、果川(クァチョン)の古い客舎です。冠岳山(クァナクサン)のふもとに残るこの建物からは、果川が漢陽(ハニャン)の南の関門にあたる町だった時代をしのぶことができます。 客舎とはどんな場所? 客舎(客舎=官舎の迎賓施設)とは、町ごとに王を象徴する殿牌(チョンペ)を祀り、地方官が毎月の1日と15日に拝礼を行った場所です。公務で町を訪れた官吏たち…